ポップなピラティス
専門医の資格が日本であまり公認されていない一つの理由は、認定されるための基準が各学会によって非常に異なり、また、いずれも歴史が鈍いために正式な試験によって認定された医師は一割程度に留まっていることによる残りは、実績に基づいて認定されてなお、看護婦を始めとする他の医療職者についても、アメリ力に見られるようなより専門性の高い認定資格はほとんど存在せず、看護において平成八年にはじめて「精神看護」と「がん看護」の二領域で合わせて八人が誕生したのにすぎない。
次に、「プロセス」面についても、日本のレべルは低い可能性が高い。
カルテの内容を定期的に点検し、質を確保するために必要なあらかじめ決められた手順が守られているかどうかなどをチェックする。
品質保証の体制を確立している病院はきわめて少ない、また、外部の評価は行政による患者あたりの医師数や看護婦数等をチェックする医療監視に限られている。
平成に塩生省、日本医師会、日本病院会などが出資して財用法左・医療機能評価機構が発足し、平成八年より本格的な評価活動を行う予定であるが、どこでの実績を出すことができるかはこれからの課題である。
したがって、実際のプロセス面の評価は、大学病院や研修病院等で行わおる先輩医師による後輩医師の指導に眠らかているといえよう。
そもそも同僚の医師が体系的に評価するためには、カルテの内容、か整理されているが、現状はそれには程遠い状態である。
なお、カルテに閲覧させるようにするべきか、どこまで議論されているか、医僚の医師しか理解できるような書き方に改める必要がある、このようにプロフェッションしているのに問題がある。
大きな課題は大学医局の中に関係しているが、専門医同上、横の関係よりも強い。
大学医局に限らず日本の社会に広く見られる現象である。
ちなみに、大学医局の中で働く医療の姿は、大企業における終身雇用と似た状況があり、また医局同士が有名病院の医長職等を獲得するために演じる競争はさながら企業のシェア獲得競争と同じである。
そこで、問題は最近批判は多いが企業においては曲がりなりにもうまく機能している組織の形態が、なぜ医療の分野では弊害が多いかである。
その一つの哩山は、大学病院で研修を受ける医師は大部分一つの医局へ診療科)でしか研修を受けず、病院全体を見る視野は育てられない。
また、身分はあくまで大学医局に帰属するのであって、医局から派遣されて勤務している病院に帰属するのではない。
もう一つの理由は、大学医局は病院の医長職等や研究費を巡って競争することはあるが、患者を獲得するためには競争する必要がないことにある。
いずれにせよ、日本の社会では集団の能力と縦の関係が重視されるので、個人の能力と同僚の横の関係を重視するプロフェッションの文化は育ちにくいといえよう。
さらに言えば、プロフェッションの教育に求められているのは客観的に標準化されたカリキュラムであるが、日本の教育では恩師のスタイルを見よう見まねで内在化することが求められる。
このため住と込みの内弟子が重視される)。
しかしながら、ここでプロフェッションの弊害についても留意する必要がある。
一つの問題は、構造やプロセスの評価はあくまでも治る、治らないによって医療の質を測ることが困難であるために考えだされた二次的な指標である。
たとえば、理想的な環境のもとで技術的には満点の手術が行われても、そもそも手術することが最善の治療方法であったかどうかについては不問にされてしまう危険性がある。
ちなみに、アメリカでは人口一人当りで日本の三倍以上の手術を行っているが、それが国民の健康水準にどれだけプラスになっているかは疑問である。
もう一つの問題は、プロフェッションのほうの都合でコストを無視した形で基準がどんどん高くなってしまう点である。
たとえ、資格を取得するまでに要求される養成期間を長くすればするほど技術レベルは確かに上がるかもしわないが、それに要するコストも確実に高くなる。
また、分業すれば分業するほど各々の専門分野に特化できるので技術レベルはやはり高くなるが、医療サービスを提供するためにはそれだけ多くの職種を抱えることが必要になり、コストはやはり上がる。
さらに大きな問題は、一旦プロフェッションとしての専門分野が確立すると、他者を排し独占的にそのサービスを提供し、それに対して高い報酬を求めるようになることである。
経済原則に従えは、分業により価格は低下し、質も向上するが、医療の場合はそもそも成果が測りにくいので、決めた「質」の基準の与か費用を無視して追求される。
詳しくは以上のように、手放しでアメリカにおける状態をモデルにプロフェッションの制度の碓立を求めるべきでなく、日本の社会には現実にも無理な課題であるので、むしろ最後の章で述ベるような病院組織としての責任体制の確立が求められるであろう。
国民皆保険が確立し、受診するうえでの経済的な障壁がほとんど存在しないという点は、日本の医療における非常に優れた点であるといえよう。
もともと日本の医療政策における基本的目標は、質よりも量を確保し、それによって受診しやすい環境を形成することであった。
厚生省は最近、「量よりも質の時代」を唱えているが、医療費抑制が優先し、また依然として受診機会の均等が重視されているので、スローガンだけに終わっている感がある。
しかしながら、受診のしやすさ以外にも日本の医療には優れた面がある。
その代表が日本が指摘した腎透析患者の医療であるが、それ以外にも次のような分野がある。
研究を引用し、慢性腎不全治療患者の五年生存率において日本のほうがアメリカよりも優れている点を指摘しており、その理由としてアメリカでは同分野が例外的にメディケアの公的保障の対象であるため、その費用補償が日本よりも低い水準におかれていることをあげている。
冒頭で述べたように、日本の乳児死亡率は世界的に最も低いレベルである。
もちろん、医療以外の要素も考慮する必要があり、たとえば一〇代で出産する母親は日本では全体の一・五%に過ぎないが(平成四年アメリカでは一一・八%にも達している「平成元年)。
また一五歳未満の出産数の格差はさらに大きく、日本が一三人に対してアメリカは一万一四八六人である。
さらに日本では母親におけるエイズ感染や麻薬の使用がほとんどない二とも考慮しなければならない。
しかしながら、日本の乳児死亡率が昭和二五年においては出生率に対してもあったのが、平成四年には四・五に低下したことは社会的要因の相違だけでは説明ができず、母子保健の果たした役割を評価する必要がある。
たとえば、妊娠が診断さわた時点で母子手帳が渡され、胎児から六歳になるまで記録がつかわれており、また保健婦による指導、検診が国民全員を対象として無償で行われている。
検診日本は世界で最も広範に検診を実施している。
久道によると、日本人は平均するは一年に一回は検診を受けており、その大部分は集団検診である。
このように普及した背景には次のような理由が考えられる。
まず第一に、戦後行われた結核検診の効果が医療従事者にも国民にも高く評価さか、検診に対する信頼が植え付けられた。
第二に、保健所の全国網が完成したので、結核が減少した後も新たな役割を兄いだす必要があった。
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